「般若心経がやばい」「般若心経を唱えてはいけない」という声を聞きます。
いったい何がどうやばいのでしょうか。
詳しく、書きました。
なぜ、般若心経を唱えてはいけないのか?
- 般若心経の真の意味を理解していないから
- 浄土真宗では唱えてはいけないから
この2つの理由から、「般若心経はやばい」と言われているのです。
以下、詳しく解説していきます。
般若心経の真の意味を理解していないから
般若心経は仏教における最も重要な経典の一つです。
その内容は非常に深い教義を含んでいます。
この経典をただ単に唱えるだけで、その真の意味を理解することなく口にする場合、虚しさを招くと言われています。
これは、仏教において「空」という概念が重要な役割を果たすからです。
空とは、あらゆるものが一時的なものであるということを指しています。つまり、すべての現象は無常であり、永遠に変化し続けるということです。
般若心経はこの空という概念に基づいて書かれた経典であり、真の意味を理解するには空という概念を深く理解する必要があります。
そして、空を理解することによって、あらゆるものが一時的であり、永遠に変化し続けることを受け入れることができるようになります。
しかし、般若心経をただ単に唱えるだけで、その真の意味を理解せずに口にする場合、その言葉は単なる空虚な音となります。つまり、空という概念を理解しない場合、般若心経を唱えることは虚しさを招くということです。
したがって、般若心経を唱える場合にはその真の意味を理解し、その教えを実践することが重要ということです。真の意味を理解するには仏教の教えを学び、そして深く考えることが必要なのです。
般若心経の意味を理解せずに、ただ闇雲に唱えても無意味でしかないですよ。ということから、「般若心経はやばい」と言われるようになったというわけです。
空とは何か
空とは、仏教において非常に重要な概念の一つで、すべてのものが一時的であるということを指しています。
空の概念は、人間が常に抱える苦悩や煩悩を克服するために、仏陀(ブッダ)が説いたものです。
仏教では生命や物質、空間、時間など、あらゆるものが無常であることを説いています。つまり、すべてのものは一時的であり、永遠に変化し続けるということです。
この空の概念には、二つの意味があります。
一つは、あらゆるものが存在しないという意味であり、もう一つは、あらゆるものが無常であるという意味です。空という概念は現象が一時的であることを認識することによって、煩悩から解放されることができるとされています。
空は形がない、色がない、味がない、香りがない、触感がないという特徴を持ちます。つまり、空自体は物質的なものではなく、あくまでも概念的なものであり、心や精神的な世界において存在します。
仏教において、空の概念は苦悩や煩悩から解放されるための重要な手がかりとなります。
仏教徒は、この空の概念を深く理解することによって真の自己を発見し、真の幸福を得ることができるとされています。
浄土真宗では唱えてはいけない
浄土真宗では、般若心経を唱えることは推奨されてません。
この理由は、般若心経を唱えることが、自己の力による解脱を目指す「自力救済」の思想に基づく行為であると考えられているからです。
浄土真宗では、「他力救済」という考え方が重要視されています。
つまり、自分自身の力では救われないという自覚を持ち、阿弥陀如来の無限の慈悲によって救われる。と信じることこそが救済を得るための方法であるとされているのです。
このため、般若心経を唱えることが自己の力による解脱を目指す行為であるとみなされ、推奨されないのです。
その代わり、浄土真宗においては、阿弥陀如来の名号である「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」を唱えることを重要視されています。
この名号は、阿弥陀如来の無限の慈悲によって救われることを信じることを表しており、浄土真宗の教義に基づく唱え方であるとされています。
ただし、般若心経を唱えること自体が禁止されているわけではありません。
個人的に般若心経を唱えたいという場合には、特に問題はありません。しかし、浄土真宗の教義に基づく唱え方としては、「南無阿弥陀仏」を唱えることが推奨されている。というわけです。
ここから派生して、「般若心経を唱えることはやばい」と言われるようになったのです。